自由なブログ

オタク傾向がある妊婦です→産みました。子供とプリキュアを観るのが夢。

「何でも話せる友達」=「親友」ではない

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と私は思っている。

私には親友と呼びあえる友達がいるけれど、その人にだって自分の思っていることを見境なく話したりはしない。

 

それでも、その人にはかなり自分に関して広範囲のことを話すことができる。

天気やグルメなど誰にでも話せる上っ面の話題・通り一遍の感想を気にして選ぶ必要はなく、世の中のことやそれに対して自分の思ったことなど、「私の」考え、「私の」気持ちにフォーカスした話を比較的素直に表すことができる。

それは、その人も私に対してはその人の気持ちを伝えようと話をしてくれるからであるし、お互いにお互いの考えを頭ごなしには否定しない精神が宿っているからだ。

 

 

そうだとしても、やっぱり何でもかんでも話すわけにはいかない。

例えば私は生まれ育った家庭と家族について黒い感情を持ち手放せずにいるけれど、話したいと思った相手は若い時分に家族を失うというつらい経験をしている。

それまでのその人の家庭は絵に描いたような幸せな家庭であったので(私の家庭も傍目にはごく一般的な家庭にしか見えなかっただろうが、内部構成員であるときには分からなかった)、私の隠し持っている感情を話しても理解してもらえるか不安があるし、なにより家族が健在の私が家族についての嫌悪感をその人に語るなど、立場上その人を傷つける可能性があり、望まないことだ。

 

私自身「何でも話せる友達」と思ってもらえるのは決して悪い気分ではなく、自尊心を持って生きていく上でむしろ名誉なことだとは思うのだけど、一方で本当に「何でも」話されてしまうと重荷に感じることだってあるし、反応に困ってしまうこともある。例えば、性生活の詳細などである。

えっと、私のやつも聞きたいからなの? 図りかねる!

そこまで話さなくたっていいじゃない、と思うような内容まで私に明け渡されてしまうと、逆に自尊心が傷ついたように感じている自分がいる。

 

友達とは色んなことをたくさん話したいけれど、いつも時間が限られている。

これからの時間を有意義に使うために、もしまた傷ついたように感じることがあったら、ちゃんとその人に話そうと思う。

特別な関係の私だからこそポロッと話してしまうのだと理解もしていたけれど、もし他にも同じように親しい関係の人がいて、同じように話していたとしたらその人にとって知らず知らず損害だと思うし、そういうこともきちんと伝えるのが本当の友達なんじゃないかと思う。

それに、その人にとっても私がいつの間にか傷ついたように感じているなんて望まないことだと思う。そして私自身が予期せぬ一撃から自分を守るための一番の解決策も、ちゃんと話すことしかない。

 

その人との関係に傷がつかないか、変わってしまわないか? 長年積み上げてきた信頼があってもなお、ちょっと不安に思う気持ちがあって、今までスルーしてしまった。いや、長年の信頼がある分、もしかしたら長年のちょっとした澱も積もりに積もっていて、これを機にお互いの蓋がはずれ、見たくなかった鍋底が突沸しやしないかと心配で、避けてきてしまったのだ。

だけど、その人とはちゃんと親友でいたいと思うからこそ、やっぱり話さなければいけないことがあるのだと思う。今まで色んな話を聞いて受け入れてくれたその人のことを信じて、話してみようと思う。

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