自由なブログ

オタク傾向がある妊婦です→産みました。子供とプリキュアを観るのが夢。

さしあたって今日を生きるには、目の前のことに集中したい

朝、肌着だけ着てやや中腰のまま硬直している私を、不思議そうに見る夫がいた。(寒いのに着替えの途中でどうして止まっているんだろう、テレビの内容が気になったのかな)という顔をしていた。

夫の視線を感じて私は我にかえることができた。寒いからとにかく早く服を着ることが今現在の一番のミッションなのに、私は着替えながらなぜか昔の嫌な記憶を思い出して固まっていた。固まっていた時間はいっても数十秒くらいのはずだけど、その間に実に色んなことを考えていた。

先ず嫌な体験を一通り再生した後に、どうして私がそういう目にあったのか原因を色々考えた。相手の至らなさのせいと、私の立場やキャラクターのせいだと結論づけたあとに、今後同じような場面を回避する対策があるかどうか、当時の行動をifで分岐させていくつかシミュレーションしたりしていた。一通りシミュレーションして、満足したのか空しくなったのか次の思考に移った。

寒い朝にNHK教育の「みいつけた!」を見ながら着替える。普段と同じ行動のいったいどこに、嫌なことを思い出すトリガーがあったんだろう。トリガーが分かれば、また近づきそうなときに避けることができるから、それを探す方がさっき考えていたことよりも今後の私に有益に違いない。だけど、一体何をきっかけに思い出したのかは分からなかった。

そこまで考えると、夫が私を見ていることに気づいた。一気に現状を把握した。寒い。けっこう長いこと固まっていた。「みいつけた!」はいつの間にかエンディングの歌になっている。テレビを見ているようで見ていない私の目はきっと怖かっただろう。

 

自分の体感として、嫌な記憶は、10年を過ぎているかそうでないかで、思い出す頻度が違ってくる。新品の机に大きな傷がついたら気になるけれど、長年使ううちに大小さまざまな傷や汚れがつけばひとつひとつは目立たなくなるのと似たようなものだろうか。私の脳みそに刻まれる記憶は嫌なものだけではないし、嫌な記憶が時の中に埋没していくのを待つ間、好きなことをして好きな記憶を増やしたい。

 

服を着たあとで考えたのは、自分が死ぬときになったら、どんなことを思い出し、考えるのだろうということだ。それまでのことを総括して、幸せだったかどうか考えるのだろうか。願わくば、夫を筆頭に好きな人達との幸せで楽しい時間に感謝しながら旅立ちたい。

死はいつやってきてもおかしくない。もしかしたら明日にでも、不幸な事故や急性の病気で私の人生に幕が下りるかもしれない。そう考えると、今朝私が硬直しながら思い出し考えた時間はなんとも無駄使いのように思えてきた。さしあたって今日を生きるには。

過去のことにとらわれたり、あるかどうかもわからない先のことを心配するってのは、ある程度はしょうがない、誰でもあると思うけれど、それにとらわれて目の前のことに手をつけられなくなるのが私は多い気がする。過去と現在と未来に振り分ける時間や労力のバランスがとれていない、気がする。

比率を変えたいと思う。とりあえず、目の前のことに集中するようにしたい。

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